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    2010-05-07 (Fri)
    画像はワンクリックで拡大されますからネッ(oゝД・)b
    本日の記事は、ハッキリ言って長いですよ~ 

    地図をご覧くださいね・・・参考文献:わがまま歩きトルコ
    このようにパムッカレには、石灰棚だけでなく古代都市の遺跡も見られます。
    私もスケジュールに余裕があれば、ゆっくり見て周りたかったのですが・・・
    ちょっと心残りですね~(-ω-ll)
    hierapolis_pamukkale.jpg

    パムッカレ豆地知識
    ヒエラポリスの意味・・・聖なる都市。
    大地から湧きだす熱泉・・・後にローマ人が「プルトニウム」とよんだ有毒ガスを噴出する穴があり、フリギア人などの先住者はこの自然現象を信仰の対象とし、「ヒエロンの神殿」を建てたそうです。

    歴史
    ・B.C190年、ベルガモン・エウメネス2世は、ローマとセレウコス朝の戦争でローマ側に付き、戦勝の功労としてセレウコス朝が建設を始めたこの町を得る。
    ・エウメネスはその後この町を発展させ、町の名はベルガモンの始祖テレフォスの妃ヒエラから名付けたとも言われている。

    ・ローマの直轄統治領として栄えたが、1世紀初めに大地震に見舞われる
    ・その後復興がなされ、2~3世紀が町の黄金期となる。この頃に「二つの大浴場」・「劇場」・「神殿」などが建てられた。そしてローマ皇帝、貴族、富裕階級が保養のためにこの温泉の町を頻繁に訪れていた。
    ・ビザンティン時代には、キリスト教の重要拠点となる。その後、町は緩やかに衰退。
    11世紀になるとトルコ人がこの地に進出し、一帯が戦場となった。そして14世紀になると、この地はセルジュク・トルコ人が完全に支配していた。
    1354年、この地は大地震に見舞われ、住人は四散して町は崩壊。その後この地を復興する者が現れる事はなかった。見捨てられた町は、現在とほぼ同じ状態だったそうですよ(o´・ω-)b

    hierapolis_1.jpg

    <ビザンティン門>・・・歩いている人が見えますか 門の大きさが覗えますね~
    hierapolis_5.jpg

    hierapolis_3.jpg
    <野外劇場>見学したかったのでが、時間の都合であえなく断念・゚・(。>д<。)・゚・!! カメラのファインダー越しに見えた劇場です。。。
    hierapolis_4.jpg

    <far away>
    hierapolis_2.jpg

    <遺跡・温泉プール>見学のみは無料で、普通に通り抜けられました
    hierapolis_8.jpg
    温泉水をそのまま利用したプールですよ(oゝД・)b
    水深は1メートル位で、泳ぐというよりは歩くって感じでしたね~もっと深い所もあるようなのですが、そこは入れないようになっていました。

    hierapolis_10.jpg
    プールの底にはローマ時代の敷石や円柱が転がっているとのことでしたが・・・hierapolis_9.jpg
    水面が光って見にくかったですね~hierapolis_12.jpg

    プールの周りでは、遺跡の修復作業が行われていましたよ~
    hierapolis_11.jpg

    <考古学博物館>は閉館中でした・・・(-ω-ll)
    hierapolis_16.jpg

    見つめ合うライオン
    hierapolis_15.jpg

    柵の外から覗き見してまぁ~す
    hierapolis_13.jpg

    首チョンパ・・・(>_<)
    hierapolis_14.jpg

    ここはローマ大浴場跡を利用した博物館なんですよ~
    hierapolis_17.jpg

    また、訪れたい<パムカッレ>よ、さらばぁ~
    hierapolis_18.jpg

    本日も長々とお付き合いくださいましてありがとうございました<(_ _)>
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